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椎名林檎と20年

椎名林檎がデビュー20周年を迎えたらしい。

 

あの頃聴きまくったCDは今でも家にあるけれど、いつのまにかCDで音楽を聴かなくなって、ふと思い出して聴きたくなってもYOUTUBEや配信サイトにないと、あきらめて、そこにあるもので満足するようになってしまったことで、聴かなくなっていた懐かしい曲たちがいっきに私のスマホに流れ込んできた。

懐かしい一曲一曲に恥ずかしい思い出がいっぱい詰まっている。

最近、あの頃の小室ミュージックもよく聴いていて、こっちはというとびっくりするほど身に沁みる。あの頃わからなかった大人の世界の切実さが身に沁みて、あの頃よりずっと深い歌に聴こえるけれど、椎名林檎のそれはちょっと違う。

大人になってしまったから改めて共感するんじゃなくて、あの頃にタイムスリップするみたいな感じだ。

 

中学生の頃、お母さんと喧嘩して、イライラしながらベッドの中で周りの音が聴こえないように爆音で聴いてた時のこと、ベンジーへの憧れを書いた歌詞に大共感しながら私のことなんでこんなに分かるの!?と思い聴いたこと。“人のもの”であろう誰かとの恋を歌った意味深な歌詞にドラマティックさを感じたりして、危険な憧れを抱きながら聴いてたこと。恥ずかしくてダサい思い出がいっぱい蘇る。

「シドと白昼夢」にある、

昔 描いた夢で あたしは別の人間で

ジャニス・イアンを自らと思い込んでいた

という歌詞のように、夢の中で私は林檎ちゃんだった。

派手な服が似合って片方だけ上がった肩やほくろがセクシーで、ヘビースモーカーで嘘が苦手で、路上でキスしてるところを週刊誌に撮られて、どこにいてもちょっと浮いてる。そんな彼女をとてもかっこいいと思っていた。

「眩暈」なんてもう私の気持ちでしかなかったし、「同じ夜」の歌い出しなんて10代の頃の、アイデンティってこんなんじゃないよね?っていう疑問と不安をとても切実に表現しているし、個性的な歌詞の世界の言葉遊びが、いちいちかっこよかったけど、20年越しに触れたその世界はとても恥ずかしくてかゆい。

 

 

“貴方に降り注ぐものが 譬え 雨だろうが運命(さだめ)だろうが”という歌詞なんて、あの頃とてもかっこよく思っていたはずなのに、今となってはそわそわする。瞬間を“とき”と読むように、当て字みたいな文化が90年代にはたくさんあって、通常よりひと捻りされた漢字の読み方って、なんてロマンティック!って思ってたんだと思うけど、今は全然ピンとこない。中二病まっただ中だったあの頃の気持ちをなくしてしまったからだろうか。

 

大人になってからも聴いていた曲もたくさんある。

「やっつけ仕事」の“なんにもいいと思えない”という歌詞は、社会に出て初めて理解できたような気がする。あなたが好き!空がきれい!夢は叶うって信じようぜ!とか、さようなら今でも愛してる…みたいな、振り切った感情を歌う歌ってたくさんあるけれど、このなんとも言えないつまらない気持ちを歌った曲ってとても斬新だった。

物があふれた世の中で、困ることなんてほとんどなくて、あふれすぎた物事からとびきりの「好き」を見つける方が難しい。機械になったら楽なのに、とびきりの何かを探してしまうから“痛い思い”でさえ憧れる。

自分の個性を曲げて、誰かの望みに応えて、褒められるように働いて、それでもそんなの間違ってるって思う時、「ギャンブル」と「メロウ」を爆音で流して帰った。

勝訴ストリップ』の中の「依存症」という曲がある。好きな人に認められることを求める心情はあの頃もなんとなく感じることができて、これも爆音でリピートしまくった曲だったけど、少し大人になって、その歌詞のディテールが理解できるようになった。

椎名林檎の曲は歳を重ねて深まるよりもタイムスリップするみたいだと初めに話したけれど、こういうアップデートタイプの曲もある。明けたての夜と日本の朝の風景、翻弄されている小さな自分。冷凍庫にキーを隠すほど、誰かに劇重な気持ちを抱いたことはないけれど、その人恋しさやさみしさはきっとあの頃より知ってる。

 

 

2009年の5月27日、デビューしたのと同じ日付に発売された「ありあまる富」という曲がある。社会の荒波の中で、時には人の意見に飲み込まれないといけないことを知って、時には思ってもないことを口にして、誰かに共感してあげるふりをしないといけないことを学んで、素直でいると責められることにモヤモヤしていた頃、この曲をずっとずっと聴いていた。

“言葉は嘘を孕んでいる”

褒め言葉の裏には妬みや嫉みが潜んでいて、ディスる人の言葉の裏にはその人の寂しさや日々の苦労があって、大人の世界はとても複雑だけど、自分の心の中にある喜びを信じていればいいのだと、とてもシンプルな答えで励ましてくれた。(東京事変の「群青日和」や「透明人間」も良い!)

“価値は生命に従って付いている”

ハイブランドの洋服を着て、高級車に乗ることが出来ても、心が貧しければそれは幸せじゃない。

私の価値は私の中にある。

 

 

 

 

20周年を記念して発売されたトリビュートアルバムの中の「幸福論」もとても良かった。

「ここでキスして」で林檎ちゃんの存在を発見した私には、デビュー曲の「幸福論」は実はあまりハマってなくて、強いていうなら『無罪モラトリアム』に収録された、はちゃめちゃな快楽編の方が好きだったし、シングルのカップリング曲だった「すべりだい」や「時が暴走する」の方が大好きだった。(一連の3つの楽曲は、福岡時代に付き合っていた男性とのことを綴った詩になっているそう。)

でもレキシがカバーした「幸福論」ってアレンジが最高におしゃれ。ちゃんとレキシらしさを出したファンクサウンドの中で、ポップに楽しく、だけど曲のメッセージはビンビン伝わってくる。分からないけど、サビ終わりのフレーズは耳馴染みが良くて何か元ネタがありそうな遊び心も感じるし、有名な曲のカバーはだいたいイマイチになる気がするけど、こんなに新しく、原曲の良さもしっかり残してるアレンジができるって、池ちゃんはただの愉快なおじさんじゃなくて愉快さでその豊かな才能をカモフラージュしてる天才なんだと思う。

 

あたしは君のメロディーやその

哲学や言葉 全てを守り通します

君が其処に生きてるという真実だけで幸福なのです

 

あの頃きれいすぎてぜんぜんピンとこなかった言葉は今、心にとても突き刺さってくる。

幸福って本当にこれだ。世間に揉まれてもくそったれと思いながら自分を失わないでいたい。誰かと比べるんじゃなくて、私は私の持つ価値を分かっていたい。そんなことを思う時、椎名林檎の音楽は私の心にフィットする。

そして大人になった今、20年越しに投げられたボールをはじめてキャッチするみたいに心に染みわたるのは、一番の幸福って、大好きな人が、素顔で泣いて笑って、ただそこに生きてくれてるってことだ。

大好きな人が、どうか明日も楽しい一日を過ごせますように。